文:ふじきせき
彼のお父さまからのメールには、
【たぶん一塁コーチャー・・・シートノックから・・・】と
グラブを持つ野球好きの彼を、この後、いや今後もう観られないかも
7月12日 日曜日
この日、10年以上前に知り合った〝マリンの友”の野球の試合があった
いつもマリンスタジアム(現QVC)では、試合前から一緒に過ごしていた
そんな友も、いつしか野球観戦より、自ら野球をすることに目覚め・・・
あれから何年たったのか
久しぶりの再会となった
夫と共に、千葉県高校野球の組み合わせが発表されてからずっと待ちわびていたこの日
秋津球場へ向かい京葉線の車内の中で、彼の思い出がよみがえってくる
まだロッテが優勝する前、内野座席指定は当日購入のみ
それもどこの窓口が開くかはその日次第
いや、その前に誰も並んでいない
文庫本片手に早くから行って待つのが定番となってきたころ、どこからともなく
『こんにちふぁ~♪』
と声がし、その声をたどると一人少年が立っていた
ナンパにしては歳の差がありすぎるし・・・と思ったが、その日以来彼と話すようになり、いつしか試合前のサイン会は一緒に行動、時には一緒に観戦
そして伝説も生まれていく・・・
収集家でもある彼は、選手のカードにサインをしてもらうのが趣味だったらしい
当時はそれほど混んでいなかったため、毎回サインをもらうことができた
シャイな彼は、選手を見ず淡々と作業をこなすかのようにサインをもらう
そんなある日のこと・・・
毎回サインに来る選手は、ファンの顔を覚えてしまうものなのだろう
彼が列に並んでいる姿を、子供好きの清水投手はいつも嬉しそうに眺めていた
そんなある日、サインをしてもらう際3段の階段を上がるのだが、彼は踏み外しておもいっきり転げ落ちた
その瞬間、ずっと彼のことを見ながらサインしていた清水投手の腰がふっと上がり『大丈夫か?』と・・・ただし、笑いをこらえながらだが。
彼はぐっと歯を食いしばり痛さを我慢し、何事もなかったように起き上がってサインの作業を済ませると、彼を待ってる私のもとへ〝待たせたな”と言いたげな態度で戻って来た。
わたしは藤田投手が大好きだったが、いつもサインを断られていた。
彼と一緒ならばと、彼と共に藤田投手に
『サインくださ~い♪』とお願いする
いつも通り嫌味な笑みを浮かべながらスルー!
彼の前も、スルー・・・すると思った瞬間、藤田投手の足が止まりサインをしていた。
そして何やら会話をしてから、藤田投手がどこかへ消えて行った
再び彼のもとへ、満面の笑みを浮かべ戻って来た藤田投手は、彼に何やら手渡した・・・大人ながらに彼に嫉妬を覚えた
すぐさま何があったのかと彼に追及すると、斜に構え唇の端を持ち上げ微笑し
『コバ雅(小林雅投手)のサイン欲しい?って聞かれたから、
〝ウン”って言っただけ』
と・・・。
は~?何それ!
大好きな藤田投手を〝パシリ”にするなんて~
そんなにロッテが好きなのか?
ある日彼のお母様が、
『この子、裏切り者だから~、松中が好きなんだって』
と、教えてくれたが、
・・・って、こら~、
松中って、ソフバの選手じゃ~ん!
どう見てもすでにおばさんだった小坂誠ファンの私を、彼は〝小坂のお姉さん”と呼んでくれていた
そして大切な小坂のカードをプレゼントしてくれた
小坂の守備を自慢した時
『松中打つけど、小坂打てないじゃん』
と、斜に構えながら、口元キュッと上げて鼻で笑う
言い返せなかった・・・
そんな子供らしくない(?)彼も、時には子供らしい緊張感でサインをしてもらったのが、唯一カモメのリーンちゃんだった。
やらかしてしまったことだって・・・
彼は必ず『〇〇選手~』と呼び捨てにはしない
なのに、言ってしまった
『おとうさん、クロキ―♪』
と・・・あの黒木投手を目の前にして、黒木投手を呼び捨てにしちゃったよ~
案の定、お父さんが隣で黒木投手に詫びていた
時に内野全席自由って日があった
その日一緒に早くから並び席を確保した・・・が、暇な大人たちが多く、血走った争いとなる
その点体はまだ子供の彼は、席を確保した際、口からひっきりなしに出ていた言葉は
『おかあさん来るから~、あとで来るからおかあさん、おかあさんの席ちゃんと取っといてるよね・・・おかあさんの席・・・』
(どんだけお母さんいるのよー!)
と言いたくなったが、その時だけは彼がまだ子供だったんだなと気づかされた瞬間でもあった
寒い寒い観戦日・・・
我が家がいつも座る席の後ろは、個室の別名〝ぬくぬく部屋”があった
ある日そこに彼とその家族が使用・・・ガラス越しに手を振るも、こちらは気温の低下と浜風で震えていた
そこに『来た』と一言発し、黙って夫と私の間に座った彼
そして一緒に凍えながら黙って観戦していった
彼が少年野球を始めてからは、会う回数は減ったものの、会えば一緒に観戦しながら野球話に花が咲く
ご両親の前では、無口を装う彼の姿は相変わらずだったが・・・
子どもとか大人とかでなく、〝一人の人間”としてお互い接していた気がする
震災を境に、私自身がマリンの球場が遠い地となってしまい、それ以来会うこともなくなった
秋津球場のある新習志野駅に到着
球場横のグラウンドで選手たちが練習していた
夫が彼を見つけたという
しかし、私はあれは彼じゃないと・・・
彼のご家族と再会し、彼を呼んでもらうと、夫の言っていた選手はやはり彼だった
ご両親の前では口数少ないのは変わりないが、締まった輪郭に爽やかな笑顔でそっと挨拶してくれた
・・・が、
でも・・・違った
私の知っている、
斜に構えちょっと悪巧みでも考えていそうな
あの計算高い微笑はどこへ行ったのか
寂しさ半分、観客席へ向かった
グラウンドでは、前の試合の途中
芝浦工大柏対八千代西
芝浦工大柏があと一点入れば5回コールドも、そこは八千代西が踏ん張って9点差にとどめていた
八千代西なかなか得点できず、
7回コールドで終了
(この2日後、 〝成田 23対1 芝浦工大柏”5回コールドという結果を見て、高校野球の大変さも実感)
いよいよ彼とそのナインがグラウンドへ姿を現す
夫と会話する暇さえなく、ひたすら試合前の彼をカメラで追う
失礼ながら
(グラブを持った姿は今しか見られないかも)
と、そしてカメラの向こうにいる成長した彼の姿を見つめながら
(ピッチャーのすぐ横にショートが守る少年野球、その後中学の3年間、早川の後輩になりたいと入った高校での3年間と、何年間かの彼の野球生活はとってどんなだったろう)
と・・・
体の半分以上が〝16”の文字で埋まっていたあの頃
今は背番号14を背に、立派な骨格と俊敏な動きが目に飛び込む
試合前なのに・・・もう喉の奥がつまってくる
カメラのレンズは曇ってないのに、熱くなっていく眼には彼の動きがなぜか見えにくくなってきていた
夫にその姿を見られまいと隠すので精一杯だった
つづく・・・