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ヒットエンドにゃんEX
nekoumeume.exblog.jp
2013年 02月 09日
小さな器の先の哲学
俺ガス

先日春の陽気を感じるも、再び寒さがぶり返す
春一番の声も、調子良いこと言うだけ言って、立ち去ってしまった

俺はまだまだお湯の季節♪

以前、ある長生き老人からこんな事を聞いた
『私は暑い夏でもお白湯を飲む』
と・・・




体にも良さそうである・・・お白湯♪

冬はお白湯というより、お湯がいい
俺の飲むお湯は、にゃんこにしてはちょっと熱めらしい
夜、おにゃじの入浴の際、お風呂の蓋の上に乗り、手で掬ってもらったお湯を飲む
その時ばかりは、心も体も温まる
五臓六腑に染わたる・・・そんな瞬間である

普段から桶と、大きめの食器に水を入れて置いてある
そこから飲む日もあるが、はっきり言ってそこから飲むのは少々苦手である
自分の口と水との距離がわかりづらく、時々鼻に入ったりもする

俺のお気に入りの器があるのだが・・・

飼い主が、お気に入りの器に、なみなみお湯入れて持ってきてくれた
通常、俺もグレもお湯は目の前に持ってきてもらう   
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それまで座って待っている
利点は、なんといっても水面との距離がわかりやすい
お湯が鼻に入るなんてことがない
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ひたすら飲む

しかし、ある所まで飲むと問題が生じてくる
俺の顔が器に沈むうちに、器の円周と俺の顔周りのサイズが同じになってくる   
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無理やり顔を突っ込んで飲むしかない!

飲み終わる・・・というより、もう顔がひっかかって届かない   
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まだわずかにお湯が入っているが、諦めよう
なんでもそうだが、便利な部分もあれば、不便な部分も持ち合わせている
何を得て何を諦めるか・・・

小さな器にも、俺なりの哲学がある
誰にでも、その人なりの哲学がある

便利を追求していく先に、何か大きな忘れ物をしてきそうな気がする
小さな器からお湯を飲むたびに、子貢(孔子の弟子)の“旅先で出会った畑を耕す老人”の話を思い出す・・・
[子貢が旅先で・・・一人の老人が畑仕事をしている。
畑に水を注いでいる。
重労働のわりに、その効果は少ない。
子貢は
「便利な機械を知らないのですか?一日で百畦の畑にも水をあげられますよ。小さな力で効果は大きいので、ぜひ試しては?」
老人に
「どうするのかね?」
と尋ねられ、子貢は“はねつるべ”という便利な機械の説明をした。
すると老人は
「私は先生に言われたことがある。『機械がある者には、機械のための仕事ができてしまう。機械のための仕事ができると、機械の働きに捕らわれる心ができてしまう。機械の働きに捕らわれる心ができると、純白の心が失われ、純白の心が失われると、心は安らぎを失ってしまう。心が安定しなくなると、人の道を踏み外してしまう。』私は機械の便利さを知らないのではない。機械に頼って生きようとすることが恥ずかしくて、そうしないだけだ。」
子貢は、自らを恥じて、返す言葉を失った]
そんなようなお話だが、解釈は人それぞれ

生活に余裕を持たせるはずの便利が、便利になればなるほど、心忙しく・・・つまり“心を忘れる”のではないかと思う

今の俺は、外に放り出されたら生きてはいけない
今はただ、便利を当然だと思わず、平穏なひと時に感謝しながら今の時間を送ろうと思う♪
by fujiki-seki | 2013-02-09 11:49 | ガス文庫2《俺は知ってる》 | Comments(2)
Commented at 2013-02-10 20:12 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 俺ガス at 2013-02-11 12:44 x
非コメ“K”さん、こんにゃちは~♪

未だ携帯電話のカメラ機能が分からず、メール&通話しかできない飼い主をもつ俺です。

>世の中にそれほどたくさんの機械がなかった頃から「機械がある者には、機械のための仕事ができてしまう。」と見抜いていた慧眼には、ただ恐縮するばかりですね。。。

昔の良い教えは、これからの世、機械以上に役立てて欲しいことだと思うこのごろです。
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