こんなニャンコブログを見てくださっている皆様、今年一年ありがとうございました。
来年も、引き続きよろしくお願いいたします。
by 管理人 ふじきせき
2015年もあとわずかとなった
俺ガス
人間界は、急激な傷つけ合いが世界で多く行われていた年に感じる。
俺は室内飼いの猫
部屋と言う小さな空間で毎日を過ごしている。
小さければ小さいなりの重大ニュースもある。
俺の重大ニュースは “ビーコンがやってきた”
来たばかりのころは、ホント弱々しく守ってやろうとさえ思ったが、急激な成長と共に、その暴れん坊ぶりは半端じゃなかった。
俺たち老猫3匹が代わる代わる襲って遊ぶのだ。
当然3匹ともビーコンの存在を嫌う。
ビーコンは知ったことかとますます増長し、トイレさえまともに行けなくなった。
そんなビーコンも、眠いとちょっと可愛い子猫になる
時折飼い主がそっと俺のベットにビーコンを忍ばせる。
再び目を覚ますと、元の小悪魔“ビーコン”に・・・
ただ、ここ最近気づいたことがある。
俺たちは目が開いたらそこには人間しかいなかった。
しかしビーコンはお母さんが猫だった。
子猫なのにお肉のパックを漁ったり、人間の濃い味も好んでたようで目を離すとバキのおやつなどかじったりしていた。
他にも・・・
我が家に来てすぐのヨロヨロしていた状態も、窓の外のカラスの姿を見た瞬間、ビーコンが消えた!
その隠れるスピードたるや凄まじく、俺はただただビーコンの消えた先に目をやるばかりだった。
よっぽど怖い目にあったことがあるのだろう。
時折、保護猫わび(人間に育てられたらしい)に、しつこく付きまとい、わびも逃げるも最後は逆襲!
しかし、戦うどころか“ゴロゴロ”喉をならし、一生懸命後を追って、何やら俺にはわびにスリスリしているように見えた。
一種親への甘えなのかも・・・
俺やグレは、変な人間だがバキが親だ。
わびだって、元飼い主さんが親だろう。
しかしビーコンの親は、いくらバキやおにゃじが優しくしても猫でなければならないのだろう。
わずかな期間でも猫に育てられたビーコンは、俺たちとはやはり根本的に考え方が違うと思う。
俺も徐々に野生の動きを受け入れ、来年はビーコンの突拍子もない動きにも、わずかでも理解し歩み寄ることにしようと思う。
最初から、俺たちと違うからと排除しようとするなら、きっとお互い不幸になるような気がしてならない。
そう、いい見本が今の人間界である。
今年一年、無事生きてこれた。
来年も、生きていきたい。
息をしていても、心が死んでいれば生きているとは言わない。
俺の来年は、ただただ生きていきたい。
来年は、動物たちを愛する人間が一人でも多く増えますように・・・